かごめかごめ 籠の中の鳥は いついつ出やる
夜明けの晩に 鶴と亀と滑った 後ろの正面だあれ
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8B%E3%81%94%E3%82%81%E3%81%8B%E3%81%94%E3%82%81
(意訳)
火と水の秘儀を会得した神人合一の超人(救い主)は、その封印を解いていつになったらお出でになるのだろう。夜明け際に燦然(さんぜん)と耀く明けの明星を拝して、不老不死の解脱の法を持たれた、世の後ろに控えておられる御方は、一体どなたなのか。
(解説)
“カゴメ”カゴメ紋即ちダビデ紋、これは伊勢神宮の参道にある石灯籠に刻まれ、しかもイスラエルの国旗にもある合同な二つの三角形を180度回転移動させた逆向きの重なりを持つ三角形。この二つの三角形はそれぞれに全く逆の意味がある。上向きの三角形は“火”そして下向きの三角形は”水”その重なりから水と火の融合を意味して、いわゆる古神道の秘儀にあたる。
“かごの中の鳥”とはカゴメ紋*ダビデ紋の秘儀を会得するものはかごの中に、ずっと閉じ込められて封印されてきたことを意味する。その中にいたものは“鳥”***羽の生えた天使を連想させる。その鳥という表現こそがメシア(救い主)の隠喩(いんゆ*たとえ)として使われていると思われる。
“夜明けの晩に”とは明け方近くになると必ず燦然と耀く金星、明けの明星が出現するが、それを拝しての修行法が空海の“虚空蔵菩薩求聞持聡明法(こくうぞうぼさつぐもんじそうめいほう)人を天才に高める秘法とも言われる。遠くは仏陀の時代に遡る(さかのぼる)明けの明星の秘法。夜明けと晩にという表現としても金星を表わしていることをしめす。
“鶴と亀が滑った”とは“鶴と亀を統べった”という意味ではないかと思われる。鶴亀、どちらも鶴は千年、亀は万年というとおり、長寿の代名詞になる。恐らくは不老不死ともいえる不思議の法を身に付けたということではないか。鶴、亀にしてもその共通点は呼吸法、鶴も体形的に気が通りやすく、亀は一分間に1-2回という回数しかしないということも聞く。不老不死となる呼吸法を完全にコントロールできる神人をあらわす。
“後ろの正面だあれ”本来前にあって拝している方ではなく、後ろに隠れておられる方こそがその秘儀を達成されておられる方、その方は一体どなたなのか。
筆者が挙げた意訳が的を射たものかどうかは分からない。しかし、恐らくこれを全国の神社仏閣に遊ぶ子供たちに広めたのは渡来人の秦氏に縁のある人々ではないかと勝手な想像をめぐらせている。俗説では江戸時代中期にあったとされているが、その深層はやみである。ネット上のいくつかのサイトのなかにもこのわらべ歌に関してかなり詳細に関して載せてあるところもあるようなので詳しくはそれもご覧になるとおもしろいかもしれない。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/nazo/kagome.htm
実は、このわらべ歌に含まれる内容は旧約聖書に現れている内容との一致点がある。もっといえば、ノストラダムスのメシアの法とされている究極の歌を江戸時代中期から何も深く追求されぬまま400年近く歌い継がれてきた可能性もある。あえて子供たちに謎掛けをしながらいつもオープンにして関心を持たせている節があるように思えて仕方ないが、果たしてどうか***。
しかし、この唄だけで上に載せた意訳をしたわけでなく、実はこの歌はとうりゃんせという歌とセットにするとその真意がはっきりする。
続く
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Comment
弘明さま
たいへん興味深く読ませていただいております。
ワタクシはノストラダムスの予言から、予言の世界に興味をもちました。ノストラダムスの予言は、1999年にはずれ、その後、世間からは、過去のものとして扱われたように思われていますが、真実は、かの予言は成就し、いまだに機能していると思っております。
一言でいうと、人類の危機をそれの回避、そして、人類の進化が予言のエッセンスだと思います。
その中で、かごめ、ダビデの星について、以前書いた文章を転載します。
ほぼ、弘明さまとおなじような解釈になっているかと思います。
*******ヘキサゴンについて*******
この形は上下 2つの三角形からできている。
カバラの秘密紋章とされている。
これはそれ自体において完全な存在 完成された存在をあらわす。
ダビデの星というが、「このダビデの星を体現した人間は一般の目から隠されている元素をとりだし、客観意識との直接的永久的結合をなさしめる高次センターとの関連を結ぶ」とされている。
これは「霊肉の結合」チャクラを開発して霊性を目覚めさせた人間をあらわす。
上向きの三角には 火 山 男性 創造 未来 精神を象徴し、
下向きの三九は 水 月 女性 破壊 過去 物質を象徴する。
つまり人間の進化 霊性 慧智を表す。
あるいは、この世界 宇宙は霊的エレメンタル と 物質エレメンタルの交差するところに存在すると。
さらに意味するのは、単なる人は霊性を獲得することにより、神の存在に近しいものとなる。
これは、時代によっては危険な思想である。ゆえに、カバラの奥義として象徴でつたえたのであろう。
この思想はグノーシスや仏教の世界とも共通する点がある。しかし、道をまちがえると、デモニズムに堕ちる危険もある。
どちらにしても、反キリスト教的ではある。
todo様、読者の皆様
1999年の7の月のノストラダムスの予言は100%的中していたことを他のブログサイトの投稿欄に一度その内容をあげたことがあります。
近くその内容を補足し、新たな内容としてアップしてもいいと思っています。
相変わらず、活字の多さにパニックを起こしながら よませていただいています。




とおりゃんせやかごめかごめにそんなに深い意味があったなんて…感激です。
子どもたちとかかわりをもちながら、「歴史をつなぐ、・自然をつなぐ・人をつなぐ」ということをテーマに暮らしている私にとって、 子どもたちと とおりゃんせやかごめかごめをするのが とても楽しみになりました。
子どもたちの 潜在意識のなかないぜひ残して行きたいですね。
リンクありがとうございました。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~mkun/nazo/kagome.htm
から、かごめ歌の謎掛けの真意へリンクさせて頂きました。
「とおりゃんせ」も謎のある歌ですが、今の所、意味不明です。「行きはよいよい、帰りは怖い。怖いながらも・・・」