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5/22***カルマを断つ意義は何か?大艱難時代に生き抜く術を探ろう

今週5/25(土)、26(日)両日は、名古屋の阿含宗東海本部で管長御来臨例祭となります。最近では、年間に一度だけ、昨年は、太平洋戦争海難犠牲者の洋上法要の前に来名され、それ以来となる例祭です。

あれから、あっという間に一年と言う期間が過ぎ去って今に至っているのですが、それにしても御歳90歳を越えられた管長様には、月々全国各地の本部道場に出向かれるご苦労は、大変なものではなかろうかと思われます。いつも思うことですが、とにかく一日でも長くこの現象世界にとどまっていただき、健康に加えて息災長寿でいていただきたいと、最近は思う事しきりです。

今年、大高の旧道場の跡地に、新たな息吹となる錬成道場が完成します。

かつて、30年前には、およそ2-3ヶ月に一度の割合で、旧大高道場に管長様がご来臨され、例祭のお護摩を焚いてくださっていました。とにかくいつも超満員で、道場に入れず、屋外にテントをいくつもしつらえて、ざら板にじゅうたんを敷き詰めて、きつきつの状態で参加していた時期がありました。

その新たな練成道場の完成がもう目前となって、その立派な威容が建立ニュースとして、写真入の記事を目にする機会が増えました。この3月末には、上棟式が挙行され、この秋、9-10月に落慶法要が行われます。

この地は、スサノウの命の草薙の剣を持たれた日本武尊(やまとたけるのみこと)が、東征の帰途につかれる折に立ち寄られたことが、歴史に残っています。氷川姉御神社が、この地の由来をよく物語っていると聞きました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B7%E4%B8%8A%E5%A7%89%E5%AD%90%E7%A5%9E%E7%A4%BE




さて、今回は、東海本部例祭にあたり、以前記事にしましたが、例祭案内チラシの裏側の記事を改めてアップしようと思います。何度か紹介しましたので、もううんざりしている方もあろうかと思いますが、昨日報道番組で取り上げられているアメリカ*オクラホマで起こった超大型竜巻の大被害に注目して、改めて、カルマを絶つことの重要性を再考していただだきたいと思います。遠くアメリカのこととはいえ、被災された方々や亡くなられた方々には、深く哀悼を述べたいと思います。

米オクラホマ州の巨大竜巻、大統領が大規模災害宣言
http://www.cnn.co.jp/usa/35032349.html

神仏の神廟となる仏舎利尊御宝塔をお祭りする家が、もし仮に一軒でも二軒でもこの被害の出た周辺に安置されていたら、あれほどの巨大な被害は出なかったのではないか、そのように思っています。一般の方からは、「お前は馬鹿か」と言われそうですが、これまでの経緯から本当にそのように思っています。こういった大きな災害が起こる度に、「どうして仏舎利尊御宝塔を安置してなかったの?」と声を大にして言いたい気持ちになりますね。

以下の記事は、なぜなのか語ってくれています。まだ、ご存じない方はぜひ御覧頂き、「カルマを断つ」ことの意義について少しでも知っていただきたいと思います。





「生死を分かつ不思議な力を持て」

どんな天災でも大災害でも、わたくしは宗教の力で対抗できるとおもっている。
「頭がおかしいじゃないか?」
ちがうのである。
なぜかというと、大震災であろうが、大洪水であろうがすべて、カルマ(業)の原則にしたがって動くのである。森羅万象、宇宙の一切のものすべて、カルマによって動いている。ものが生じ、存在し、変化し、滅する。すべてカルマの力による。すべてカルマの原則に従って動く。
 壊れるカルマが生じたならば、どんなに堅牢なものでも壊れる。壊滅してしまう。
 ただ、ここで最も重要なことは物質を動かすカルマの原則と人間を動かすカルマの原則とは違うものだということである。
 このことに気が付いている人は稀だ。
 この真理を、人はさとらねばならない。
 物質のカルマが動いて、大都市が壊滅してしまうような大地震が起きても、人間の方に、それを受けるカルマがなければ、その人は何の影響も受けない。怪我一つしない。
 その逆に、自分にその破壊力を受けるカルマがあったら、どんなに科学的に防御しても破壊されて命を失う。

*****略*****

多くの人びとは、物理的なカルマと、人間を動かすカルマと、二種類あることを知らぬのである。
 物質のカルマは、科学の法則とおり、物理的に動く。 一トンの岩石が落下してくればその下にある物質は、それだけの質量の衝撃を受けて粉砕される。その衝撃は数学的に計算できる。
 しかし、そこにいる或る人間の頭上にその岩石が落下してきても、必ずしもその人間が粉砕されてしまうとは限らないのだ。粉砕されてしまうカルマを持っていれば粉砕されてしまうし、そういうカルマを持っていなければ、危機一髪、難を逃れて、毛筋ほどの傷も受けない。たとえば、落下してくる岩石が小石にあたって、一センチ軌道がずれ、落下地点では二,三メートルの差にとなって、その人は平穏無事なのである。またその逆もある。
 わたくしが、さきの文章で
「生死を分かつ不思議な力がある」といったのはこのことである。
 つまり、人間とは、常に物質的カルマと人間的カルマとの絡み合いに於いて生きているということだ。これを「運命」とよぶ。

*****略******
 わたくしはさきに、
どんな大災害でも、宗教の力で対抗することができる、といった。
 
*****略*****

 それはカルマの力をコントロールすることによって可能になるのである。
 そんなことできるのか?
できるのである。仏教がその方法を持っている。
 ブッダ釈尊が、阿含経という経典で説いている「因縁解脱法(成仏法)」という法が、それである。」

<以上、阿含宗管長猊下御著書「1999年7の月が来る」より、護摩修法御親修例祭***広報チラシの抜粋>




この内容の前半部分を大きく途中略してしまったが、15年前の大震災のとき、あの最も被害が出た、神戸市長田区、灘区にも非常に多くの阿含宗信徒がいたにもかかわらず、家にダメージは受けても、奇跡的に生還しておられる方々がほとんどだった。このたびの大震災においても阿含宗の信徒の死者「0」、この意味がいかに大きなものか、この文章の裏づけとなるような出来事だったといえるのではないだろうか。

今後、このブログにも「1999年7の月が来る」の内容は度々テーマとして取り上げるつもりでいる。およそ、これからの時代の大激変に、この読者の皆さん方は果たしてどう対抗し、リスクマネージメントされるだろうか?




以上2011年5月の記事より

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